アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
安岡明夫トップページ資料編
ブログ紹介
現在「禅宗とは何か?」特集中!!__
----------
道元「正法眼蔵」シリーズ目次
当HPグループ「キリスト教」関連目次
当HPグループ「イスラム教」関連目次
その他の目次は左欄上にあります。
help リーダーに追加 RSS

禅宗とは何か?(道元「正法眼蔵」の研究)春秋7

2008/10/12 20:02
春秋7
潭州大潙山仏性和尚(*)、圜悟を嗣ぐ、諱名は法泰。云く、
「無寒暑処為君通、
枯木生花又1重。
堪笑刻舟求剣者、
至今猶在冷灰中。

(無寒暑の処君が為に通ず*、
枯木花生(さ)くこと又1重。
笑うに堪えたり舟に刻して剣を求むるを*、
今に至りて猶お冷灰の中に在りや*)」
(「禅宗頌古聯珠通集」巻24)。

この道取(発言)、いささか公案踏著・戴著の力量あり*(つづく)。

*大潙山仏性和尚:
仏性法泰。臨済宗楊岐派の宋代の僧。臨済宗は宋の時代、黄龍派と楊岐派に分かれる。初め黄龍派が優勢であったため、栄西はこちらを日本に持ち帰った。だが楊岐派は公案禅の教育のシステム化に成功。「碧眼録」を完成して弟子の大量養成に成功する。封建時代には寺のほとんどは官寺である。人員戦術により楊岐派はほとんどの寺の独占に成功した。こうして堕落が生まれ、為に道元が宋に渡った頃は既に臨済宗は魅力的なものでなくなっていた。道元は黙照禅を日本に持ち帰る。以後ほぼすべての臨済宗は楊岐派となり、今日の日本の臨済宗もそうなっている。京都東山の建仁寺(栄西の建てた寺)とその傘下の末寺・数千寺のみが黄龍派であり、信者数・百万余というが、臨済宗全体に比べればごく少数勢力だ。
*無寒暑の処君が為に通ず:
無寒暑の処は君の為に通じた。通行可能となった。つまり、洞山の答えのお陰で通行可能となった。
*笑うに堪えたり舟に刻して剣を求むるを:
笑うことを我慢せざるを得ない、船に刻み目を入れて剣を求めることを。昔、水中に落ちた剣を後で探そうと、船に刻み目を入れて印にした人がいたという。その様に見当違いのことをあの僧はしていたのだなあ。
*今に至りて猶お冷灰の中に在りや:
今に至るも未だ、(あの僧は)燃え尽きた冷たい灰の中にいるのだろうか?未だあの僧は答えを発見できないでいるのだろうかと問うている、と解釈すると完全に間違い。未だに正しい答えを見出したからこそ、冷たい灰の中で修行を続けているだろうか、冷たい灰のような悟りそのものになりきっているだろうか、と問うている。
*いささか公案踏著・戴著の力量あり:
多少は「公案」(最初の洞山の問答を解明するという課題)を、踏んづけたり、頭に載せたりする力量が有る(と、ほめている)。
記事へトラックバック / コメント


禅宗とは何か?(道元「正法眼蔵」の研究)春秋6

2008/10/11 17:42
春秋6
東京(*)の天寧寺長霊禅師守卓和尚(*)云く、
「偏中有正正中偏、
流落人間千百年。
幾度欲帰帰未得、
門前依旧草芊芊。

(偏中正有り正中偏、
人間に流落すること千百年。
幾度か帰ろうと欲して帰ること未だ得ず、
門前旧に依って(*)草芊芊(せんせん)たり*)」
(「長霊守卓禅師語録」)。

これもあながちに偏・正と道取(発言)すと言えども、しかも拈来せり(*)。拈来はなきにあらず、だが如何なるか是れ偏中正(つづく)。

*東京(トンキン):
宋の開封府。黄河中流に在り、大体中国文明発祥の地・洛陽の都と同じと考えてよい。これに対し、黄河上流の長安を西京とよぶ。なお、この時代には未だ宋は中国全土をほとんど支配していたが、この直後に中国北半を満州族に奪われる。
*天寧寺長霊禅師守卓和尚:
長霊守卓(1065―1123)。宋代の臨済宗黄龍派.の僧。日本の栄西がこの派に属す。タントラ密教の影響が強い。
*旧に依って:
従来どおり。
*草芊芊(せんせん)たり:
草茫々(ぼうぼう)である。「芊」は、草冠に「千」。この字は「芋(いも・ウ)」ではない。芋は横の2本線が平行だし、縦の棒の最後が跳ねる。「芊(セン)」には訓読みはない。もっともPCではどちらも、横棒が平行に見えてしまうが。
*これもあながちに偏・正と道取(発言)すと言えども、しかも拈来せり:
「偏中正有り・正中偏有り」と無茶苦茶なことを言っているが、しかしそれでも大きな真理を捻り出し、持ち来たっている。

記事へトラックバック / コメント


禅宗とは何か?(道元「正法眼蔵」の研究)春秋5

2008/10/10 18:10
春秋5
慶元府雪竇山資聖寺明覚禅師(*)、北塔祚和尚を嗣ぐ。諱名は重顯和尚。云く、
「垂手還同万仭崖。
正偏何必在安排。
琉璃古殿照明月、
忍俊韓獹空上階。

(垂手(*)還(かえ)って万仭の崖に同じ(*)。
正偏何ぞ必ずしも安排(*)に在ろう。
琉璃の古殿明月を照らし、
忍俊の韓獹(*)空しく階を上る)」
(「碧巌録」第43則)。

*雪竇山資聖寺明覚禅師:
雪竇重顯(せつちょう・じゅうけん980-1052)。宋代の禅僧。この人に対する道元の評価は必ずしも高くない。「心不可得(後)5.」参照。なお、この人の生きた時代は、宋が中国全土を治めていた。 雪竇重顯の「頌古百則」に基づいて圜悟克勤が「碧巌録」を著したのだが、圜悟克勤が65才の時、宋は満州族の「金」に敗れ、中国北半を奪われた(圜悟はその後8年間生きる)。道元が宋に渡った時も、宋は中国北半を回復できておらず、やはり金が支配していた。その10年後、金は蒙古族に滅ぼされる。結局、宋は北半を取り戻すことができず、やがて蒙古族に滅ぼされる。
*垂手
手を垂らしている状態。安楽な満ち足りた状態。
*還(かえ)って万仭の崖に同じ:
「仭」(じん)は中国の長さの単位。腕を伸ばした長さで、「尋」(じん)とも言う。時代により、変動がある。約2mと考えると、万仭は約2万m。大体エベレスト2個分。安楽な状態はかえって逆に1万仭の崖の端に立っているのと同じだ。悩み・苦しみ・矛盾・ストレスがあってこそ人間は進歩がある。
*安排:
「按配」・「塩梅」「按排」ともいう。「正偏何必在安排」とは、「”正・偏”(後で出てくる”偏・正の道”)とは、必ずしもバランスの程好い真理とは言えず、極論である場合もあるのだ」ということ。真理が極論であることもあるとはそれ自体は正しいことである。だが道元は後で言うが、そもそも「偏・正の道」とは、真理ではないのだと。
*忍俊の韓獹:
「忍俊」とは、忍耐強くて・俊敏なこと。「韓獹」(かんろ)とは、韓国の黒い猛犬。「琉璃の古殿明月を照らし、
忍俊の韓獹空しく階を上る」とは、琉璃(るり)で出来た古い宮殿明月照らしているのに(悟りを開いた人が明確に教えを述べているのに)、忍俊の韓獹空しく階を上る(不勉強な人にはわからない)と言っている。

雪竇は雲門3世の法孫なり。参飽の皮袋(*)と言うべきなり。いま「垂手還同万仭崖」と言いて、奇絶の標格を現わすと言えども、必ずしもしかあるべからず。いま僧問山示の因縁(*)、あながちに垂手・不垂手にあらず(*)。出世・不出世にあらず。いわんや偏・正の道(*)を用いようや。偏・正の眼を用いざれば、此(こ)の因縁に下手(手を下す)のところなきがごとし(*)。参請の巴鼻なきがごとくなる(*)は、高祖の辺域にいたらず、仏法の大家を覰見(*)せざるによれり。さらに草鞋を拈来して参請すべし(*)。みだりに高祖の仏法は正・偏等の5位(*)なるべしということ、やみね*(つづく)。

*参飽の皮袋:
仏法の修業が行き届き、その結果、その人が法そのものと変化したようなことを、「法が(その人の所に)参じ・飽和した」という。皮袋とは、糞の詰まった皮袋の意味で、仏法では人間をこう呼ぶ。つまり、「参飽の皮袋」とは、中身が全て仏法に置き換わった人の意味。
*僧問山示の因縁:
1僧が問い、洞山が答えた先の問答。
*垂手・不垂手にあらず:
垂手・不垂手の雪竇のお説は正しいのだが、もともとの洞山の話はそれと問題が違っているのである。雪竇は洞山の話を理解していない。
*偏・正の道:
道元に言わせると当時の間違った教えであり、洞山はずばりと本当のことを教えないで、あっちに偏り・こっちに戻しして、弟子を教えたという説。「正・偏等の5位」とも言う。
*偏・正の眼を用いざれば・・・:
正しいか・間違っているかを見る目がなかったら、先の洞山の話に手を下すことなど全く出来ない。「偏・正の道」と「偏・正の眼」は全く異なるのでご注意。
*参請の巴鼻なきがごとくなる:
「参請」とは、雲水が祖師に参じ、問いを発して教えを請うこと。当然、質問する人間は、ひとこと言えばはっと悟る位のレベルに達している必要がある。ところがまるで顔がのっぺらぼうで、摘むべき鼻も付いていなければ、質問がそのような状態であれば、教えるほうも質問者が何処までのレベルに達しているかも分からないから答えようがない。それ程、雪竇の理解と洞山の教えのレベルの差があるといっている。
*覰見(ちょけん):
覗いて見ること。
*さらに草鞋を拈来して参請すべし:
雪竇は、更に草鞋を履いて祖師を訪ね、どんどん質問しなさい。
*正・偏等の5位:
「偏・正の道」と同じ。
*やみね:
やめなさい。
記事へトラックバック / コメント


禅宗とは何か?(道元「正法眼蔵」の研究)春秋4

2008/10/09 13:56
春秋4
夾山圜悟禅師(*)、五祖法演禅師(*)を嗣ぐ。諱名は克勤和尚。(初めの洞山の問答に付いて)云く、
「盤走珠、珠走盤。
偏中正、正中偏。
羚羊掛角無蹤跡、
猟狗遶林空踧蹈。

(盤、珠を走り、珠、盤を走る(*)。
偏中正あり、正中偏あり(*)。
羚羊角を掛けて蹤跡無し(*)、
猟狗林を遶(めぐ)りて空しく踧蹈しゅくとうす*)」
(「圜悟禅師語録」巻19)。

いま「盤走珠」(盤、珠を走る)の道(ことば)、これ光前絶後、古今罕聞なり。古来はただいわく、「盤にはしる珠の住著(留まるところ)なきがごとし」と。羚羊いまは空に角を掛けたり。林いま猟狗をめぐる(つづく)。

*夾山圜悟禅師:
圜悟克勤(えんご・こくごん;1063-1135)。宋代の禅僧。「碧巌録」の著者。
*五祖法演禅師:
ダルマから数えて5代目という意味ではない。「5祖・法演」ではない。名前自体が「五祖法演」という方である。この方は宋代の禅僧であり、5祖・弘忍禅師は16歳までは隋時代の人で、それから後は唐代の人とされている。
*盤、珠を走り、珠、盤を走る:
悟りの自由な境地を表現している。
*偏中正あり、正中偏あり:
春秋2.」参照。
*羚羊(れいよう)角を掛けて蹤跡無し:
かもしかは眠る時、角を枝に掛けて跡を残さない(と言われる)。そのように、捉われのない悟りの境地に達した人の言葉を理解することは難しいと。
*猟狗林を遶(めぐ)りて空しく踧蹈しゅくとうす:
猟犬は林を回って空しく踧蹈(うやうやしく・踏む)する。かもしかが跡を残していないため、猟犬は発見できず、地面を自信なさそうに「うやうやしく踏んでいる」様に歩いている。
記事へトラックバック / コメント


禅宗とは何か?(道元「正法眼蔵」の研究)春秋3

2008/10/08 16:45
春秋3
慶元府天童山の宏智禅師(*)、丹霞和尚を嗣ぐ、諱名は正覚和尚。云く、
「若しこの事を論ぜば、両家(2人)の著碁(囲碁)するが如くに相(あ)い似たり。汝我が著(打つ手)に応ぜずば、我れ即ち汝を瞞じ去ろう(*)。若し恁麼いんもに(そのように)体得せば、初めて洞山の意を会すべし。天童(*)免がれず1個の注脚を下すことを。

裏頭看勿寒暑。
直下滄溟瀝得乾、
我道巨鼇能俯拾。
笑君沙際弄釣竿。

(裏頭に看るに寒暑勿(な)し(*)。
直下滄溟瀝り得て乾けば(*)、
我は道(言)おう巨鼇能く俯して拾う(*)。
笑うべし君が沙際に釣竿を弄するを*)」
(「宏智広録」巻4)。

しばらく、著碁はなきにあらず(*)。作麼生(そもさん)か是れ両家(*)。もし両家著碁と言わば、8目なるべし(*)。もし8目ならば、著碁にあらず、いかがか。いうべくはかくのごとくいうべし、著碁1家、敵手相逢なり(*)。しかありというとも、いま宏智の言う「汝不応我著」(汝我が著に応ぜずば)を、こころをおきて功夫すべし。身をめぐらして参究すべし。「汝不応我著」というは、「なんぢ、われなる筈なし」ということなり。「我即瞞汝去也」(我れ即ち汝を瞞じ去ろう)も、見すごすことなかれ。泥裏泥有り。蹈み込んでしまった者は足をあらい、また纓(*)をあらう。珠裏珠有り。光明を発し、かれをてらし、自らをてらすなり*(つづく)。

*宏智禅師:
宏智正覚(1091-1157)。宋代の曹洞宗系の禅僧。道元の時代、宋では実は臨済系の公案禅が盛んであった。しかし道元は黙照禅に大きな影響を受けた。「正法眼蔵」坐禅箴(ざぜんしん)の巻には、宏智正覚の「坐禅箴」が収録されている。
*我れ即ち汝を瞞じ去ろう:
(お前がこちらの言葉を理解しようと勤めなくては)私の言葉がお前に分かるはずがない。
*天童:
当時の天童山の住職・宏智禅師のこと。自分を指している。住職は寺の名を自分の名に用いることが出来た。
*裏頭に看るに寒暑勿(な)し:
裏側の頭(脳髄内)を見たところ、寒暑はなかった。寒暑は体の外部にしかなかった。
*直下滄溟(そうめい)瀝(したた)り得て乾けば:
いっぺんに滄溟(大海)が底の穴からこぼれて干上がってしまえば。
*巨鼇能く俯して拾う:
大海亀を下を向いたままで只拾うことが出来る。
*笑うべし君が沙際に釣竿を弄するを:
悟りを開いてしまえば寒暑などないのに、どうしてそんな簡単なことをやらないで、大海亀を拾い集めることをせずに見当違いな砂際の場所で釣竿を振り回しているのだ。
*著碁はなきにあらず:
初めの洞山の問答と囲碁は無関係ではない。
*作麼生(そもさん)か是れ両家:
「作麼生(そもさん)か」とは、「如何なるか」の意味。「両家」(2人)とはどういうことか?と質問している。
*8目なるべし:
弱い側に8目も最初に置かせてから囲碁をするのでは弱すぎる。これでは囲碁になっていない。そのような話にならない状態だと言っている。囲碁は2人がそれぞれ自分勝手にするものではない。2人がまるで1人であるかのように、呼吸が合ってこそ見事な囲碁に成る。そうでなくてはそもそも囲碁といえないといっている。
*著碁1家、敵手相逢なり:
囲碁は2人がまるで1人であるかのように呼吸を合わせてするものである。その対決の中で、1人の敵手が2人になって相(あ)い逢うのである。
*纓(えい):
冠のひも。
*泥裏泥有り。蹈み込んでしまった者は足をあらい・・・:
真実と虚偽ははっきりと分かれており、洞山の言葉を真に理解出来た者だけが悟りを開くことが出来る。
記事へトラックバック / コメント


禅宗とは何か?(道元「正法眼蔵」の研究)春秋2.

2008/10/06 19:35
春秋2.
浄因枯木禅師、芙蓉和尚を嗣ぐ。諱名は法成和尚。あるとき(前節の問答に関して)云く、
「(皆は)衆中に商量(推量)して言う、「この僧の問いは既に偏(偏向)に落つ。洞山の(初めの)答は正位に帰す。其(そ)の僧、(洞山の)言中に音(正しい答え)を知って、却(かえ)って正に入り来る(正しい質問をした)。(ところが)洞山(次の答えでは)却って偏に従い去る(*)」と。斯(か)くの如く商量するは、唯(た)だ先聖を冒涜するのみにあらず、亦(ま)た乃(すなわ)ち自己を屈沈するものなり。言うことを見ずや、(これらの)衆生の解(解釈)を聞くに、意下の丹青(*)は、目前美なりと雖(いえど)も、久しく積んで病と成る。大凡(およそ)行脚の高士、この事を究めんと欲せば、先づ須(すべか)らく上祖(*)の正法眼蔵を識取すべし。其の余の仏祖の言・教は、是れ何の熱椀鳴声(*)ぞ。然も是(かく)の如くなりと雖(いえど)も、敢(あえ)て諸人に問う。畢竟(ひっきょう)して如何なるか是れ無寒暑の処。又た会す(解す)や。
玉楼に翡翠(*)巣食い、
金殿鴛鴦(*)に閉(と)ざされり(*)」
(「嘉泰普燈録」巻26)。

師はこれ洞山の遠孫なり。祖席の英豪なり。しかあるに、(人々は)個個多くあやまりて、偏・正の窟宅にして(*)高祖・洞山大師を礼拝しようとすることを炯誡(*)するなり。仏法もし偏・正の商量より相伝せば、いかでか今日にいたるだろう。あるいは野猫児、あるいは田庫奴(*)、未だ洞山の堂奥を参究せず、かつて仏法の道コンを行李(*)せざるともがら、あやまりて洞山に「偏・正等の5位」(*)ありて人を接すという。これは胡説・乱説なり、見聞すべからず。ただまさに上祖の正法眼蔵あることを参究すべし(つづく)。

*偏に従い去る:
間違った答えをしてしまった。実は当時、洞山大師は正しい答えと・間違った答えを交差させながら門人を導いたとの「洞山の5位」といわれる説が存在していた。
*丹青(たんせい):
赤と青。「絵画」を意味する。つまり、この解釈は整った美しい解釈だが、所詮は「意下」の、つまり意識がでっち上げた解釈だと言っている。
*上祖:
最近の祖師ではなく・もっと古い祖師。
*熱椀鳴声:
熱湯をお椀に掛けると音が出ることがある。そのような無意味な言葉との意味。
*翡翠(ひすい):
かわせみなどの類。
*鴛鴦(えんおう):
おしどり。
*閉(と)ざされり:
黄金の宮殿がオシドリによって閉ざされている。オシドリの大群が金殿を占領し、全く金殿を目にすることも出来ないほどだ。金殿とオシドリ、又宝石で出来た高殿とかわせみの巣と、どちらが価値が高いのだと問うている。
*偏・正の窟宅にして:
勝手に洞山大師の教えに「偏・正」の解釈を持ち込んで。「偏・正」の解釈で獣の住み着いている洞窟のような物を構築し、そこから洞山大師の教えを覗き込もうとして。
*炯誡:
炯眼で見抜き、戒める。
*田庫奴(でんしゃぬ):
雇われて農業に従事する奴僕という。
*仏法の道コンを行李:
コンは門ガマエに「困」。”敷居”の意味。仏法の道の端のぎりぎりのところを歩くこと。
*偏・正等の5位:
先程の「洞山の5位」といわれる説。洞山大師は正しい答えと・間違った答えを交差させながら門人を導いたとの説。
記事へトラックバック / コメント


禅宗とは何か?(道元「正法眼蔵」の研究)春秋1.

2008/10/05 19:18
春秋1.
[初めに:
この巻は「春秋」と名付けられているが、内容との関連性が薄い。確かに、冒頭出てくる洞山悟本大師の言葉を巡る内容であり、”暑さ・寒さ”がテーマであるから季節に関係し、「春秋」と名付けられても可笑しくはない。
また、何故こう名付けられたかに関しては、後書きの次の全文が関係すると思われる。

「その時寛元2年甲辰、越前の山奥に在りて再び衆に示す。仏に逢うの時、「仏麟経」を転ず。祖師いわく、「衆角多しと雖(いえど)も1麟に足れり」と」。

「仏に逢う」とは、死人が出たという意味だ。葬式をやり、そこで「仏麟経」というお経を転じた(回した=軸を中心に巻物のお経を回した;読んだという意味もあるし、単に回し、その際呪文を唱えることで全て読んでしまったことにする意味もある)。だが現在「仏麟経」というお経の存在は知られていないので、別のお経を道元がこう呼んだ可能性もある。その後の「祖師」とは青原行思のことだ。青原が言ったとされる「衆角多しと雖も1麟に足れり」とは、「多くの衆が集まっており、それぞれ優れた角(つの)を持っているが、1人の麒麟(きりん)のような偉大な人物と比べれば、全部あわせて匹敵する程度だ」と(不足しているのでも・超えているのでもなく、丁度ぴったりだと)。

つまり、最近死人が出て葬式をやり、その時キリンに関係するお経を読んだ。そこで青原行思の言葉を思い出した。ここで道元の発想は更に飛躍する。そう言えば、論語で有名な孔子は晩年キリン(偉大な平和な時代が出現する寸前に出現するとされる)が怪獣と勘違いされて民衆に叩き殺された事件に遭遇し、この為戦乱の世が続くことになったと嘆いたと言い伝えられており、この為編纂中であった歴史書「春秋」の編纂をやめてしまったとされている。道元はそのことを思い出し、この巻に「春秋」と名付ければゆかしいであろうと考えたと。だが幾ら簡潔な文章が重んじられた時代だったとはいえ、ここまで簡潔化されて然もどんどん色んな内容を詰め込まれては、ゆかしいかもしれないがほとんど意味不明だろう
(なお、「仏に逢うの時」でなく、「仏事に逢う」とする写本も存在する)]。

洞山悟本大師に、因(ちな)みに1僧問う、
「寒・暑の到来、如何に回避しましょう」。
師云く、
「何ぞ無寒暑の処に向って去らざるか」。
僧云く、
「如何なるか是れ無寒暑の処」。
師云く、
「寒時には闍梨(*)を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺すべし」
(*闍梨:
阿闍梨あじゃり=先生。ここでは僧にたいする単なる敬称。「そなた」と同義)。

この因縁(逸話)、かつて多く商量(議論)しきたれり、而今(現在)も多く功夫(工夫)すべし。仏祖かならず参来せり(この逸話を学んできた)、参来せるは仏祖なり。西天・東地、古今の仏祖、多くこの因縁を現成の面目とせり。この因縁の面目現成は、仏祖の公案(課題)なり。

しかあるに(*)、僧問の「寒暑到来、如何回避」、詳しく参学すべし。いわく、正(まさ)に寒到来時、正に熱到来時の参詳看なり(*)。この寒暑、渾寒・渾暑(全寒・全暑)なり。ともに寒暑おのづからなり。寒暑おのづからなるゆえに、到来時は寒暑おのづから(自体)の頂ねいより到来するなり、寒暑おのづから(自体)の眼睛より現前するなり。この頂ねい上、これ無寒暑のところなり。この眼睛裏(眼睛内)、これ無寒暑のところなり。高祖(*)言うところの「寒時寒殺闍梨、熱時熱殺闍梨」は、正に到来時の消息なり。いわゆる寒時たとい寒殺なりとも必ずしも寒死なる訳ではない、熱時たとい熱殺なりとも必ずしも熱死なる訳ではない。寒には徹底寒なり、熱には徹底熱なり。たとい万・億の回避を参得(習得)すとも、なおこれ以頭換尾なり。寒はこれ祖宗の活きた眼睛なり、暑はこれ先師の暖かい皮肉なり(つづく)。

*しかあるに:
いよいよ、道元がこれまでと違う一家言を述べようとする合図か(期待を持たせている)。
*・・・参詳看なり:
その前文の「詳しく参学すべし」の意味の説明。それは、・・・を詳しく看ることに参ずることだと説明している。つまり、「寒暑到来、如何回避」のうちの「如何回避」ではなく、「寒暑到来」とは実はどういうことだと追求している。
*頂ねい:
頭の頂上。
*高祖:
洞山悟本大師(曹洞宗の祖)。
記事へトラックバック / コメント


月別リンク